かつて炭鉱の町として近代日本を支えた赤平市。
町には今も多くの炭鉱遺産が保存されています。
中でも赤平のシンボル的存在となっているのが、旧住友赤平炭鉱立坑櫓です。
普段は中に入ることができませんが、イベント等でたまに見学できることがあります。
赤平の炭鉱の歴史は古く、その始まりは1895年(明治28年)と言われています。
住友赤平炭鉱は1938年(昭和13年)に開鉱。
1950年代には最盛期を迎え、約5,000人もの人が働いていました。
その後、1994年(平成6年)に閉山し、炭鉱都市としての歴史に幕を下ろしました。
立坑櫓は1963年(昭和38年)竣工。
高さは43.8m。現存する立坑櫓としてはかなり大きいのではないでしょうか。
内部には当時の設備が残されています。
1階:4段ケージと操作台
入るとすぐに、床に張り巡らされたレールと2つの建物、そして鉄骨の巨大な構造物が目に入ります。
2つの建物は操作台。これを操作し、人や物を運ぶための「ケージ」をエレベーターの内部(ガイド槽)に入れます。
この巨大な構造物がケージ。
4段式になっていて、それぞれの階層に人や物を積むことができます。
ケージ内部。
レールが敷かれていて…
こちらの貨車を1両ずつ積むことができます。
1段18名、合計72人を同時に坑内へ送り届けることができるそうです。
各番号にそれぞれケージが入ります。
こちらは斜坑(斜めに入っていく坑道)用の人車。
立坑用ではないので、別の炭鉱から持ってきたものとのこと。
炭鉱の仕事はかなりハードだったと思いますが、皆さん笑顔です。
ちなみに、どのくらいハードだったかというと…
これは掘削用のドリルですが、これだけで7kgもあります。
試しに持たせてもらいましたが、普段ペンより重いものを持たない&腱鞘炎気味の私の腕はすぐにビキビキ!と悲鳴を上げました(笑)。
実際には、これに様々な機器が接続されていたので、総重量はかなりのものだったはずです。
これだけでも炭鉱での仕事がいかに大変だったかがわかります。
また、坑内では事故に備えてさまざまな工夫もされていました。
こちらは立坑から少し離れた場所にある自走枠工場跡に展示されていたものですが、よく見るとボルトの向きが一定であることがわかります。
これはもしものときのために、出口の方向がわかるようにするため。
同様に、レールに取り付けられていたボルトも、出口がわかるように向きが決められていたそうです。
自走枠工場に展示されていた「救命袋」。
「災害発生時に救命袋でエアーを流し有毒ガスから身を守る」と説明書きがありました。
常に危険と隣り合わせだったようですね。
2階:ケージ巻室
2階はケージ巻室。
巻上機の直径は5.5m。
秒速12m(時速43km)の速度でケーブルを巻き上げました。
外から見える立坑櫓上部の滑車も同じ大きさだそうです。
これですね。
遠くから見るとそんなに大きいようには見えませんが、近くで見るとめちゃくちゃでかいです。
巻上機から上の滑車につながっていました。
こちらの図を見ていただければわかりやすいですね。
こちらは巻上機で使用されていたケーブル。
比較のためにiPhone7を置いてみました。
この太いケーブルを年に1度以上交換していたそうです。
巻上機の操作台。
中央にあるのが深度計です。
メモリは1100mまでありますが、よく見ると600mあたりに印がついているのがわかります。
機械の性能としては1100mまで下げることができましたが、実際には600mまでしか掘られなかったそうです。
メンテナンス用のスパナ。
冗談みたいな大きさです。
これは発電機。
ブレーキ時に発電するとかなんとか。
当時としては最新の設備だったそうです。
その他:設備や内部の風景
内部の風景
電話コレクション
椅子と机
錆いろいろ
新聞
1枚目は1987年2月16日付。
2枚目は発行年が読み取れませんが「バブル後遺症ここにも」の見出しから、閉山直前あたりの新聞ではないかと思われます。
赤平の雇用問題に関する記事も載っていますね。
コントロール系
おわりに
北海道内にはいくつもの立坑が保存されていますが、内部を見学できるのはこの赤平炭鉱の立坑だけ。全国的にも珍しいのではないでしょうか。
毎年秋ごろに開催されている「TANtanまつり」での公開の他、予約制のガイドツアーでも見学できるようです。
2017年は「赤平アートプロジェクト」でも公開されています。(会期中1日1回)
公開やガイドツアーの詳細はこちらをご覧ください。
最盛期5,000人もの人々が働いていた赤平炭鉱。その労働者たちの疲れを癒した坑口浴場が立坑跡の向かいにあります。少し不思議な吊籠方式の更衣室やお湯の跡が残るコンクリートの浴槽など、当時の生活の痕跡が随所に残されています。
※記事内の写真はTANtanまつり2013および赤平アートプロジェクト2017での公開の際に撮影したものです。