2000年3月31日に噴火し、街に甚大な被害をもたらした有珠山。
現在、周辺は整備され、「洞爺湖有珠山ジオパーク」として見学することができます。
金毘羅火口災害遺構散策路では、ふたつの巨大な火口の他、大量の土砂が流入した町営施設や流れてきた橋が激突した団地などを、
西山山麓火口散策路では、無数の噴石が降り注いだ幼稚園や、下り坂が上り坂になるほど隆起した町道、道路を飲み込んで開いた3つの火口などを見ることができます。
このページでは金毘羅火口災害遺構散策路を、次のページでは西山山麓火口散策路をそれぞれ紹介しています。
有珠山について
有珠山は約2万年前に活動が始まったと考えられています。
7,000~8,000年前にいったん休止し、1663年に活動を再開。
1663年以降は9回の噴火がありましたが、そのうち4回は20世紀に起こっています。
最近では2000年3月31日に噴火。
3月27日より発生した群発地震により噴火が予測され、1万5千人以上の住民が事前に避難しました。
噴火前に避難が完了していたため、幸いにも直接的な死傷者はなし。
しかし、街は甚大な被害を被り、その爪痕は現在もあちこちに残されています。
入り口〜やすらぎの家
散策路の入り口から少し歩くと最初の遺構「やすらぎの家」に着きます。
やすらぎの家は1988年に建てられた町営の公衆浴場で、噴火の前年に改装されたばかりでした。
遠くから見るとわからないですが、近づくと窓が割れ窓枠がひしゃげているのがわかります。
1階は泥流で埋まっています。
よく見ると天井部分にまで泥が付着しています。
かなりの勢いで泥流が流れてきたようです。
いろいろなものが取り残されたままになっています。
ベビーベッドらしきものが見えます。
部屋の場所によっては泥流の流入を免れたようです。
入り口は無残な状態でした。
木の実橋と桜ヶ丘団地
噴火時に押し寄せた泥流は山麓の橋を押し流しました。
この木の実橋は元の場所から約90m流され、桜ヶ丘団地に衝突し、そこからさらに60m流され、現在の位置で止まったそうです。
写真ではスケールが伝わりにくいですが、近くで見ると巨大です。
橋が激突した桜ヶ丘団地はもともとあった3棟のうち1棟が保存されています。
こちらもやすらぎの家同様、1階部分が埋まっています。
ドアが開いているのは避難の際の指示でしょうか?
部屋の中の様子。(外から腕を伸ばして撮影)
泥流の被害がない場所は意外ときれいです。
割れた窓の先に見えるホテルグランドトーヤ。
どうでもいい話ですが、小学校の修学旅行でここに泊まりました。
裏側です。
ところどころベランダの柵や窓枠がないのは、噴石による被害でしょうか。
右側の損傷は木の実橋が衝突した跡。
遠くから見るとこんな感じ。
屋上には草木が生い茂り、時間の経過を感じさせます。
橋の衝突痕も全体が見えます。
火口〜消防署跡
遺構群の先にはふたつの火口をめぐる散策路があります。
火口はそれぞれ「珠ちゃん火口」「有ちゃん火口」と名付けられています。
火山はともだち!みたいな町の姿勢を感じられるネーミングです。
上の写真は珠ちゃん火口。
こちらは有ちゃん火口。かなり大きいです。
人(右下あたり)と比較するとその巨大さがわかります。
ちなみに一般人は立入禁止だと思います。(これは調査の人かも)
途中、鹿に食べられたような木を発見。
野鳥も多く、さまざまな自然を感じられます。
旧国道230号。
有ちゃん火口の向こうに見える洞爺湖。
散策路の終点にある消防署跡。
現在は火山資料館になっています。
建物が4%傾いているので、入るとちょっと気持ち悪いです。
消防署跡の前にバス停があるので、金比羅火口災害遺構散策路の入り口に戻る場合はバスを利用すると良いです。
徒歩の場合は散策路を戻るか、町道を歩くしかありません。町道は2kmくらいあるので注意。
町道を歩くと、また違った視点で火口を見ることができたり、温泉街を一望できたりします。
西山山麓火口散策路では、無数の噴石が降り注いだ幼稚園や、下り坂が上り坂になるほど隆起した町道、道路を飲み込んで開いた3つの火口などを見ることができます。