宗谷線の無人駅を紹介するシリーズ。
第5回は北剣淵駅から塩狩駅を紹介します。
人気ロックバンドの撮影にも使われた北剣淵駅や、絵本の里・剣淵駅、小説『塩狩峠』の舞台にもなった塩狩駅などカルチャーに関連した駅が多い区間です。
北剣淵駅
1959年(昭和34年)に北剣淵仮乗降場として開設。
1987年(昭和62年)、国鉄民営化に伴い北剣淵駅に。
秘境駅が多い宗谷線ですが、この北剣淵駅もなかなかの秘境具合。
糠南駅とかもそうですが、仮乗降場として設置された昭和30年代にはそれなりに利用客がいたのでしょうか…
待合室。良い感じでボロいですね~
内部も良い感じでボロいです。
オレンジ色の本のようなものは一見するとファイリングされた駅ノート?と思いますが、中身はなぜかお料理辞典。
窓際の電話台のような棚にある本は「ゲームラボ」というゲーム雑誌で、2006年ころのものとちょっと古め。
板張りのホームと真っすぐな線路。
反対側も。
雲が晴れてきました。
そういえば、剣淵町はロックバンド「amazarashi」の「性善説」という曲のMVが撮影された場所だそうです。
この北剣淵駅もMV内で登場します。
私は以前からこのMVを知っていたのですが、ずっと外国で撮影されたものだと思っていました笑
よく見るとバリバリ北海道の風景ですよねー
MVはこちら。北剣淵駅は最後の方に出てきます。
剣淵駅
1900年(明治33年)開設。
開設当初は「けぬふち」という読みだったそうです。
1905年(明治38年)、読みを「けんぶち」に変更。
現在の駅舎は1988年(昭和63年)に建てられたもの。
駅舎内。
旧式の石油ストーブが良い感じです。
剣淵町は「絵本の里」として絵本を通じたまちづくりを進めています。
町内には活動の拠点となる「絵本の館」という施設があり、その蔵書から数十冊程度が巡回文庫として剣淵駅に置かれています。
町の名産品の展示も。
ホームに出ます。
宗谷線は板とか小屋の駅が多いので、1番線2番線があって跨線橋が架かっていると街に来たなと感じます。
列車が来ました。
ローカル感があって良いですね。
跨線橋内はとてもきれい。
東六線駅
1956年(昭和31年)、東六線仮乗降場として開設。
1959年(昭和34年)、駅に昇格。
「東六線」という駅名は「この地区の基線から東へ6番目の線」にあることに由来するそうです。
待合所。
看板が「東六線駅」ではなく「東六線乗降場」になっています。
看板自体はきれいなので、代々「乗降場」でかけ替えてきたのか、それとも昭和31年の看板を塗り直しているのか…
古いけど意外とボロくはない内部。
ただし床はなく砂利敷きです。
ホームは板張り。
宗谷線は真っすぐな線路が多いですね。
和寒駅
1899年(明治32年)開業。
1988年(昭和63年)、現在の駅舎に。
宗谷線の全列車が停車するため、利用客も1日平均100人弱と多め。
駅舎内。
利用客が多いのでベンチの数も多め。
壁には開業120年の特集が掲示されていました。
ホーム。
跨線橋と歩道橋があります。
跨線橋内。
鉄骨がむき出しで武骨な雰囲気。
駅舎の向かい側のホーム。
複数の線路が広がっていますが、草が伸びているので現在は使われていないようです。
塩狩駅
1916年(大正5年)、塩狩信号所として開業。
1924年(大正13年)に塩狩駅に昇格。
駅舎は結構古そうですが、建築時期は不明。
駅舎内。
宗谷線に残る木造駅舎は大正13年~14年に建てられたようですが、ここももしかしたら開業時(大正13年)に建てられたものを改修しているのかもしれません。
ホームに出ます。
ちょうど列車がやってきました。
古い無人駅に列車がやってくる様子はやはり絵になりますね。
旅情オーバーフロー状態。
塩狩といえば、三浦綾子の有名な小説「塩狩峠」の舞台。
駅のすぐ近くには「塩狩峠記念館」もあります。
建物はかわいいですが、小説の元になった事件は悲惨です。
詳しくはWikipediaをご参照ください。
塩狩駅は利用状況が1日平均1人以下と、すでに限界ラインを超えていますが、今のところ廃止リスト入りはしていない様子。
小説の舞台にもなっている記念碑的な駅でもあるので、なんとか存続してほしいですね。
さて、次回は蘭留駅から旭川四条駅を紹介します。
未訪問だった音威子府~名寄間はそのあとに特集する予定です。