万字炭鉱の石炭積み出しのために1914年(大正3年)に開通した万字線。
しかし、出水が多く水没にも見舞われたことから、万字炭鉱は1976年(昭和51年)に閉山。
万字線も1985年(昭和60年)に全線廃止となりました。
現在は一部の駅舎や駅跡が残されており、終点の万字炭山駅付近は公園として整備されています。
起点は志文駅ですが、今回は廃止された上志文駅~万字炭山駅を紹介します。(志文駅は現在も営業しています)
上志文駅
駅舎が残されており、現在は「萩の山市民スキー場」が所有。
物置として使用されているようです。
裏手(駅的には表)に回ると駅名が書かれています。
記念碑。
こちらがホーム側。
ホームや線路は残されていません。
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(CHO766-C2-74)をもとに小樽総合デザイン事務局が作成
1976年の空中写真との比較。
今よりもやはり建物が多いですね。
情報が前後してしまうのですが、朝日駅に関する情報をお寄せ下さった閲覧者さまより、1976年の上志文駅の写真についての情報もいただきました。
以下、お寄せいただいた情報です。
上志文駅 76年の写真の左上の方は山を削ったあとで それは上志文で機関車をバックさせて引き込み線を使い 岩見沢駅のヤードを造成したものです
朝日駅
朝日駅も駅舎が現存。
現在は万字線鉄道公園として整備され、駅舎の他、線路やホーム、踏切警報器が保存されています。
ホーム側。
改札口の雰囲気が良いですね。
内部です。中には入れません。
(修復している途中のような感じだったのですが、今後公開される予定でもあるのでしょうか?)
記念碑。
機関車も保存されています。
駅舎とホーム。
このホームはおそらく展示用に作られたものだと思います。
駅の東側があるのがかつてのホーム。
ホームの端から。
線路はここで途切れていました。
駅名標。手書きの文字が良い味を出しています。
公園内の池に大きい鯉がたくさんいました。
クマに狙われないんですかね…?
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(CHO766-C2-84)をもとに小樽総合デザイン事務局が作成
1976年との比較。
駅舎の北側には採石場的なものがあったようですね。
現在の衛星写真をよく見ると、採石場だった場所の木が少し低く、その跡がわかります。
(上の写真は表示範囲が狭いので、グーグルマップを開いて確認してみてください)
【訂正】
1976年の駅舎の北側に採石場と書きましたが、正しくは「朝日炭鉱」の跡地でした。
この情報をお寄せくださった閲覧者さまよりとても貴重な体験談をいただきましたので掲載いたします。
朝日駅 国土地理院の地図のコメントに 採石場 とありますが
おそらく 朝日炭鉱 の跡だと思われます
1976年 昭和51年 であれば朝日炭鉱閉山から1年後にあたるはずです
ですから 朝日駅のそばに石炭積み出し用のホッパーが見て取れます
朝日駅ホームの山側に積み出し用の側線がありD51がバックで積み出ししてるのを思い出します
記憶が間違ってなければ 朝日炭鉱は昭和49年2月にガス突出事故を起こし 同年7月に閉山への労使交渉ストライキなどがあり 同年12月には閉山された記憶があります私が小学6年の2月に事故があり 中学校に入ったときは40名を越えるクラスも二学期が始まると半分になりました
中学校は朝日の子供たちと一緒に学びました先にも書きましたが 中学一年の年に炭鉱閉山が打ち出され ストライキ 労使交渉などが7月にあり 12月には閉山
1月に2学期が始まったら20数名のクラスになりました朝日駅の機関車は 美流渡専用線で使われていた同型の機関車です 美流渡専用線 動画がまだどこかで見れるはずです
美流渡の交通センターは 廃止されたあとに建て替えられた物です
実際にこの地域で生活されていた方の情報はとても貴重です。本当にありがとうございます!
美流渡専用線の動画はYoutubeで見ることができますね。
しかし、なぜ採石場と書いてしまったのか。
Wikipediaにも朝日炭鉱の跡と書いてあるのに…
美流渡(みると)駅
美流渡駅の駅舎は現存しません。
美流渡交通センターの横に車止めが残されています。
記念碑は道路を挟んだ北側にありますが、駅舎が存在したのは交通センターの近くだと思われます。
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(CHO762-C5-49)をもとに小樽総合デザイン事務局が作成
1976年との比較。
昔と比べると建物は少なくなっていますが、他の駅から比べると人は多いですね。
万字駅
万字駅の駅舎は、現在、万字仲町簡易郵便局として使用されています。
郵便局の隣に記念碑がありました。
裏手にはホームへと続いていた階段がありました。
降りてみたい方は郵便局の職員の方に聞いてみると良いかもしれません。(この日は休みでした…)
パッと見た感じ、階段の先は「何かがあった感じ」はあるものの、遺構のようなものはなさそうでした。
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(CHO762-C1A-61)をもとに小樽総合デザイン事務局が作成
1976年との比較。
民家がかなり少なくなっています。
万字炭山駅
万字炭山駅の駅舎は現存せず。
ホームの一部と、何かが建っていたような跡が残されているだけです。
万字炭山駅の記念碑は、かつては万字交通センターにあったらしいですが、今はありません。
万字交通センターには踏切警報器がありました。記念碑は警報機の間にあったようです。
昔の航空写真を見る限り、この場所には線路は通っていないので、警報機は他の場所から移設したものと思われます。
古いカーナビ等で探すと、交通センターの方が表示される可能性があるので注意が必要。
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(CHO762-C1A-61)をもとに小樽総合デザイン事務局が作成
1976年との比較。
線路が通っていたところがなんとなくわかりますね。
万字線はここが終点。かつてはここから石炭が運ばれていました。
万字炭鉱の遺構
万字炭鉱のズリ山周辺は、万字炭山森林公園として整備・保存されています。
駐車場は公園管理棟と公園休憩所の2か所にあります。
上の写真は選炭場跡。公園管理棟のすぐ横。
こちらも炭鉱の遺構。休憩所近くにあります。
巻き室との情報もありましたが定かではありません。
ちなみに立入禁止にはなっていないので、入ろうと思えば入れます。
ただし、入り口付近が急斜面+溝なので、ちょっと危ないです。
内部はこんな感じ。
朽ちた机と椅子が良いです。
休憩所駐車場からズリ山へ登れます。(時間がなかったので登りませんでしたが)
直線775段を含む2,468段の階段があるそうです。
この段数はズリ山公園としては日本一とのこと。
直線の階段としては、赤平の777段が日本一。
万字が3段足せば抜かれますね…。
(そもそも日本全国にズリ山公園ってそんなにあるんでしょうか…笑)
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(CHO762-C1A-63)をもとに小樽総合デザイン事務局が作成
1976年との比較。
まず、ズリ山の存在感がすごいですね。火山のようです。
その周辺も現在と比較すると炭山として利用されていた様子がよくわかります。
また、現在の衛星写真をよく見ると、木々の色にムラがあり、炭山だった名残がうかがい知れます。
おわりに
万字線や万字炭鉱の周辺には、この他にもまだいろいろな遺構が残されています。
ただ、劣化が進んでいるのでこの先どんどん少なくなっていくと思います。
万字炭山駅の駅舎も数年前には存在していたようですし。
見たい方はお早めに。
あと、国土地理院の航空写真が面白いです。
出典の記載等の規約を守れば誰でも使用できます。